九相図について。
「好きキャラで九相図」と仏教修行としての九相図の搾取性について、
一連のツイートをまとめてみました。
立海で九相図って素晴らしくチャレンジブルな薄い本をお見掛けしてしまってとてつもない衝撃受けたんだけど、九相図ってまさに本来は女体を完全に男性目線の性的客体(男を欲情させ堕落させる存在)に貶めたうえでの仏教修行なのだよね…。
posted at 07:14:51
前後したけど、九相図ってのは「若い女性の遺体が腐敗分解されてゆく写生する」って仏教修行なわけで。欲情の対象 が醜く「物」として腐敗破壊されてゆくのを直視することで性欲を超越するためのものなのだけど、まああくまで「女体は男を堕落させる客体」でしかない扱い なわけですよ。
posted at 07:18:48
でもこれってむちゃくちゃ酷い話でしょう。信心深い檀林皇后が「自分の遺体を往来に野晒しにして朽ちゆく姿を衆生に見せなさい」ってしたのは有名だけど、「私が死んだら遺体が腐るままにしてください」なんて人は基本的にいないわけですよ!
posted at 07:23:05
遺体をなぜ埋葬するか、それは遺体は「人間としての尊厳」があるからで。腐敗や破壊されることで損なわれる尊厳から本人や遺族を守るためにするわけですよ。でも九相図は仏教修行だからって、腐らせるまま獣に喰わせるままにする。そこに本人の意志なんてない。無許可です。
posted at 07:27:02
そんな遺体の主の尊厳を毀損するような酷い行為なのに「若い女はあくまで男を堕落させる存在だから」って野垂れ死んだ哀れな遊女の遺体とかで「修行」するわけですよ。「何が修行だ」って思いますよ。修行やってる方にとっちゃ尊厳もなにもない性的客体なわけです。ふざ けてる。
posted at 07:30:06
ちなみに件の薄い本人関しては、むしろ「男修行者→生身の客体女性」という一方的な構造でしかなかった九相図を敢えて女性作者さんたちが愛する架空男性キャラで挑戦(まさに「挑戦」だよな…)という意味で、凄い感銘と感慨を感じているのだけどね。
posted at 07:33:10
なにが言いたいかって、大昔から仏教思想とかでも「(死者の尊厳ですら修行の名の元に無視していい程度に)女性は男性を堕落させる罪深き客体」でしかない的な感覚が今日まであり続けていた、ってことなんですわ…。
posted at 07:35:53
ちなみに、日本で現存してる九相図って小野小町(美女だからって勝手に欲情されて腐敗までさせられて本当にいい迷惑だよな…)とか女性モチーフが多いですが、「色欲の超越」のための「不浄観」だけでなく「無常観」の意味もあります。
posted at 07:41:12
なのでタイあたりでは未だに警察等の施設で死者の生前の許可をとった上で(献体みたいなもんだな)「腐敗してゆく(男女問わず)遺体を直視する」という修行ができるようです。やはり生前の許可が大事だそうで。
posted at 07:43:54
※注釈:ここはちょっと語弊があるので解説。
仏教国であるタイの首都・バンコクの警察病院は死体解剖室が仏教僧に解放されているため、仏教僧は自由に出入りしてそこに安置されている変死体や司法解剖済みの遺体を見ることができるとのこと。
ここでは「許可」というか、僧が遺体を見て不浄観をするのがわりと普通に受け入れられているということか……(その倫理面での是非はここでは置いておきます)。
で、この「生前の許可」が大事というのは、倫理的な問題だけでありません。
遺体を「単なるグロテスクな物体」として見るのではなくて、
「かつては意志をもって生きていた者の、その肉体がたどり着く果て」を見届けることが大切なのだそうで。
だから生きていた頃のその人ときちんと対峙することが重要になるというわけ。
屍体を屍体として客体化して、人間の尊厳から完全に引きはがしてしまっては
本質から遠ざかってしまう。
そういう意味ではつくづく、かつての「朽ちゆく女体を観察して色欲から脱する」
という九相図修業がいかに男性側の身勝手な視点であるかが、よくわかる。
色欲から脱するために見ず知らずの女性の遺体を無許可で観察するわけですからねぇ。
そこにかつては生きていた頃の相手への敬意みたいなものはほぼほぼ介在する余地がないよなぁ……。
仏教では肉体は「不浄」なので、九相図もまた「不浄観(肉体の不浄さを直視して肉体への執着から脱する)」として重要視されましたが、仏教修行者の主体は基本的に男性なので、自分の肉体に対しての不浄観は「これは不浄な糞袋」みたいなイメージング…。
posted at 07:49:07
なのに女性に対しての不浄観は、死者の尊厳もへったくれも無視で、あくまで「性的客体」として扱う九相図修行ですからこの差はほんと酷い。男性に対しても九相図修行やんなきゃどう考えても不公平なのにねぇ。
posted at 07:51:47
ちなみに九相図が近世→近代と廃れたのは「死者の尊厳としてどうなの」みたいなのもあったでしょうが、「腐敗してゆく女体萌え」みたいな性的嗜好が醸成されちまったから…とも聞きます。修行ってか、好きで女体で九相図やってた向きも大いにあったんですわ!(怒)
posted at 07:54:50
だって九相図とかほとんど裸の女性の遺体が腐ってく絵だったりするからね…。正直に「リョナグロ趣味です!」って言ってやられるなら遺体の尊厳は気になるけど「ああ、そういう趣味あるね…」って納得できる。それを「いや、これは修行で…」だからほんと腹が立つ。
posted at 07:57:21
女性の遺体を用いた九相図修行に対しての批判とか検索したんだけど見つからなくて、むちゃくちゃ吐き出させてもらったよ…。「伝統宗教におけるミソジニー」はフェミニズム的には今さらなんだろうけど九相図に関しては言わずにはおれんかった。
posted at 08:04:17
九相図修行はこれほどまでに「男性→女性」という一方的な搾取構造が明確に表れているってことだよね…。
posted at 08:05:49
まあ西洋の神話モチーフにおける女体画とかも、実は神話を隠れ蓑にしたエロ描写だったりだもんね…。九相図が国宝になったり神話系女体画に芸術性を見出だすのも周囲や後世の人間の評価でしかないわけで。にしても九相図は遺体の主がいるわけで本当に酷い。
posted at 08:18:28
小野小町九相図とか当然後世に想像で描かれたものだろうけど、それって「歴史上の人物ネタのエロパロでグロ」とどう違うと…。下手すると写生モデルの遺体(モデルにだけされた…)があった可能性を考えたらむちゃくちゃ悪質じゃないか…。
posted at 08:21:30
朝からむちゃくちゃエグい話題ですまぬ…。いや九相図に関してはずっと考えてたんだけど、「欲情させる女が悪くて男には罪がない」話題が流れて来て、タイミングがよかったもんで…。
posted at 08:27:55
肉体性を忌むくらいなら人形やぬいぐるみでも偏愛していればいいんです。
posted at 08:28:46
しかしな、「愛するキャラで九相図」はほんとに深いぞ…。そもそも架空キャラというのは我々の脳内にしか存在していない精神的存在であって端から「肉体性がない」のだから。これはそこを敢えて「肉体性の呪縛に封じこめる」試みだ。
posted at 08:31:20
架空キャラはいわば神や精霊に近い存在なわけであるよ。受け手である自分が信じれば永遠に存在し続けることもできる。受け手が肉体性を感じれば概念としては肉体性を獲得できるし、死んでも生き返ることさえできる。歳も取らないでいられるし逆も可である。
posted at 08:34:13
「それなのに敢えて…」か「だからこそ…」なのか、わざわざ愛するキャラを腐敗させる…って、これは煩悩からの脱却とは真逆でむしろ「腐敗しても愛し続けられるか」って挑戦ではありませんか…。九相図本来の「構造」への挑戦にもなっているし「愛の限界」への挑戦でもあるし凄すぎるんですよ。
posted at 08:37:48
「仏教修行だ!」って行き倒れた女性の遺体が腐敗してゆく様を本人の尊厳無視の許可なしで写生しといて、それで 「腐敗してゆく女体萌え」みたいな歪んだ煩悩を募らせてたら世話ないし、「もうお前出家しろ!」ってすでに出家してるという…。業が深いのは確実に男性の 方だろ…。
posted at 09:10:12
でも仏教とか平気で「女性の方が業が深い」みたいに言ってきますからねー。そりゃ男性に比べて肉体的弱者だから苦労は多くなりますが、それは業のせいではないでしょ。むしろ男性の煩悩や業こそ深すぎる。
柳さんイメージのフクロウぬい「モフ柳さん」も赤也たんイメージの黒猫ぬい「あかにゃ」にしても絶対に死なないし腐敗もしません(物理的にぼろぼろにはなるけど…)からね。好きキャラ愛好手段としてこれもまた変な方向に突っ走っている自覚はありますよ…。
posted at 11:00:32
どっちかってーと「お前も蝋人形にしてやろうか!」の世界です。好きキャラを無機物に落とし込む、「ぬいぐるみ」というひとつの「不変」であり「永遠」。いや形あるモノだから壊れますがね…。
posted at 11:04:19
ちなみに松井冬子氏という日本画家がいて、この方は九相図的なイメージで女性画を描かれたりしておられるのだが、上野千鶴子氏との対談でも自傷的な作風と評されていて、「怨念」を意図した作画であるらしく、仏教修行画としての九相図とは意味が違うのが興味深い。
posted at 12:03:51
男性主体で女性を究極的客体として貶めたものが本来の九相図なら、「現代の九相図」は長らく性的(だけでなく社会 において)客体として消費され続けた女性が、主体となって描くことに意味があるのではないか、なんて思ったり。モチーフが好きキャラだとしても女性自身だ としても。
posted at 12:09:51
九相図を「勝手に欲情して、勝手に客体化して、死者の尊厳まで毀損して腐敗過程を写生しといて修行と主張するとか、なんという男性の身勝手だ!」って批判が見当たらないのがほんとに不思議だ…。酷い話だよね?
posted at 12:16:45
「芸術だから」「宗教画だから」で批判すべきじゃないとしたら、それは思考停止だよね?かつてそれが倫理的に問題がないとされる時代があったとしても「修行」とされる行為に酷い差別的な要素があれば省みる視点も必要だと思う。九相図に限らないけれど。
posted at 12:19:28
まあ、私が勉強不足で批判している文献にアクセスできていない確率は高いけどね…。
posted at 12:20:09
もちろん「グロいからダメ」って話はしていない。
posted at 12:21:21
「搾取」ってのは「一方的」に、そしてだいたい無自覚のうちにしてしまう/されてしまうものだと考えますよ…。「さあ、こいつを搾取してやるぞ!」ってやる場合よりも「え?○○に××するのは当たり前でしょ?いけないことなの?(キョトン)」の方が圧倒的多数かと…。
posted at 13:08:38
ちなみに檀林皇后が亡くなったのは65歳の時らしいので、後世に残された檀林皇后九相図会(若い女性モチーフ)は 別にリアルに彼女の死姿を描写したものではないってことになります。いや、単に絵師がインパクト出すために若返らせたのかもだけど、それじゃほんとにフィクションだよな…。
posted at 16:15:35
つか、近世までは辻に行き倒れや捨てたれた遺体なんてやまほどあったはずなのでちょいと辻に行けば九相図のモチー フ見つけるのも容易なことだったでしょう。それにしても大切な遺体ならば「懇ろに埋葬して弔う」わけで、わざわざ女体ばかり腐るさまを修行と称して写生するとか酷い話なのです。
posted at 16:19:20
そういうわけで檀林皇后九相図会は有名ですが、「わが骸を辻に打ち捨てよ」ってのもあくまで「伝説」なので実際はどうだかわかりません…。仮に野ざらしにされたとしても彼女の墓陵が存在している以上遺骨は埋葬されているわけで、本当に打ち捨てられた大衆とは話が違いますし。
以上です。
リプライに関してはリプの相手のアカウントを掲載してしまうことを懸念して割愛させていただきました。
可能な限りタイポは修正しております。
なお、件の九相図をテーマにした薄い本に関してもあまりにデリケートな内容等を配慮してここではリンクや詳細を省かせていただきます(ちょっとググればすぐ見つかるとは思いますが)。
九相図について、私がこんなに憤慨しているのは「生身の女性の遺体」を僧とはいえ一男性が個人の色欲を脱するためだけに利用しているという身勝手さにあると、これをまとめていて改めて気づかされました。
九相図修行が対象の男女を問わぬ純粋な無常観であったり、「遺体の腐敗過程を描くことが鎮魂・供養である」である的な思想あっての行為なら、現代的な倫理観はさておき「こういう考え方もあるのかな……」ともっと平静に受け止めていたと思うのです。
そしてなにより特筆すべきは女性たちが描く「現代の九相図」の話。
かつては朽ちゆく屍を一方的な客体として描かれるばかりだった女性が、何らかの情念や怨念(それは男性中心社会ゆえの"怨念"であるのかもしれない……)をもって、女性自身なり好きな男性キャラなりをモチーフとして、いずれも女性自らが"主体"となって九相図を描くことに大きな意味も意義もあるのではないか。
……というのがこの長いツイートの結論なのでしょうな。
「好きな男性キャラで九相図」、私にとってはあまりにセンセーショナルだったのだけど(自分の最萌キャラ達がモチーフになった作品だったのもあってね……)、これを端にBL二次創作のひとつのジャンルになりえないかなぁ、とちょっと期待してしまいます。